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はじめに
- プロジェクトページをご覧いただき、ありがとうございます。
壱岐の野球少年達が甲子園の切符を掴みました。この出来事は島民の夢であり、「生きる希望なんてなかった」真哉さんにとっても、生きる光となりました。そして、私たちは真哉さんの甲子園応援を叶えるためにこのプロジェクトを立ち上げました。
皆さんは、壱岐島をご存じですか?
博多港からジェットフォイルで約1時間、長崎空港から飛行機で30分で行くことができる、人口約2万3千人ほどの九州の玄界灘に浮かぶ長崎県の離島になります。
島の周りは、コバルトブルーやエメラルドグリーンの海に囲まれ、夏季には九州から多くの若者が海水浴などで訪れます。また、麦焼酎発祥の地と言われ、「壱岐焼酎」として世界的にその名が知られています。 -
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壱岐島に訪れた「100年に一度の奇跡」とは?
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壱岐高校野球部がセンバツ21世紀枠に選出!
- 2025年1月24日(金)に第97回選抜高校野球大会(春のセンバツ)の出場校を決める選考委員会が開かれ、21世紀枠に壱岐高校が選出されました。
壱岐高校野球部は、選手とマネージャー全員が壱岐島の出身で、「壱岐から甲子園へ」をスローガンに昨秋の長崎県大会準優勝、その後の九州大会ではベスト8まで勝ち上がり、島民の悲願でもある春夏通じて初めての甲子園出場の切符を掴み取りました! -
- 長崎県壱岐市に生まれた、現在44歳の植村 真哉さん。
小学生の時に野球を始め、中学校・高校(壱岐商業高校)と続け、社会人になってからも船乗りの傍ら野球をするほど、何より野球が好きだったそうです。
しかし、2014 年 11 月(34 歳)に筋力低下で歩行が困難となり、35歳の時、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され、意思疎通は文字盤などを使った眼球運動、呼吸は人工呼吸器を使用、栄養は胃瘻(いろう)からの注入での生活となりました。 その後も急性腎不全で透析、十二指腸潰瘍からの出血で内視鏡的止血術や輸血、度重なる気胸を乗り越え、2022 年 8 月 8 日に自宅に戻ることができました。現在は訪問診療、訪問看護、訪問リハビリ、重度訪問介護、訪問入浴を利用し、奥様と自宅で過ごされています。 -
生きる希望なんてない‥
- 寝ても覚めても、自分の意思で体は動かせず、呼吸もできない、食べることもできない、やりたいこともできない、そんな日々でした。真哉さんは、リハビリには積極的ではなく、投げやりになり、人間関係も悪化、外に出るどころか車椅子移乗もせず、ベッド上で同じ姿勢のままテレビや音楽を聴いて、寝る、目が覚めるという一日を、ただただ繰り返すだけでした。2024年の夏頃から気分の落ち込みがあり、「死にたい」「包丁で刺してほしい」「事故に見せかけて呼吸器を外してほしい」「包丁を自分の手に巻き付けてくれ」といった言動がありました。
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ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは
- 手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく原因不明の難病です。筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)が主に障害をうけます。その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。常に進行性で一度かかると症状が軽くなることはありません。人工呼吸器を用いなければ、通常2年~5年で死亡してしまうといわれています。
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「100年に一度の奇跡」が導いた、真哉さんの生きる希望
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甲子園に行きたい‥
- 薬の服用でそのような言動は少なくなりましたが、真哉さんの希望、未来は閉ざされたままでした。そんな中、壱岐高校野球部が春のセンバツ「 21 世紀枠」最終候補に選出され、初の甲子園出場を夢見て壱岐全体が盛り上がりを見せていました。昨年12月の訪問診療の際に「壱岐高校が甲子園に出るなら応援に行きたいですか」と真哉さんに伺ったところ、「行きたい」と意思表示があり、いつもと違い口元が緩んで嬉しそうな印象でした。「では一緒に行きましょう。そのためには車椅子移乗などを目標にリハビリを頑張りましょうね」と伝えると、「ありがとうございます」と涙目で返答があり、文字通り壱岐高校の甲子園出場が、真哉さんの"生きる希望"となりました。
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"真哉さんを甲子園に連れて行こう プロジェクト"
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もう一つの壱岐から甲子園へ
- 真哉さんにとって、壱岐から甲子園に行くことは最大のチャレンジの一つです。
プロジェクトをサポートする我々にとっても、「安全に」真哉さんの希望を叶えるためには、多くの費用と対応を必要とするチャレンジになります。
壱岐高校のスローガン「壱岐から甲子園へ」を、我々もご支援いただける皆さんと共に、「もう一つの壱岐から甲子園へ」を成し遂げたいと思っています。 -
ご支援いただいた資金の使途について
- 皆様にご支援いただいた資金(想い)は、全額真哉さんが甲子園で壱岐高校を応援しに行くために必要な費用に使用させていただきます。
※目標額を超える支援をいただいた場合と急遽真哉さんの体調等によるプロジェクト中止の場合は、かかった費用を除いて公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団に寄付いたします。
★公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団とは‥iPS細胞の実用化を目指す研究の支援を行っており、研究が進むことで難病の治療に進歩が期待されています。 -
真哉さんの希望を叶える一員になりませんか?
- 最後になりますが、
今回のプロジェクトは、真哉さんの「想い」を叶えるためのものだからこそ、
"たくさんの方々に知ってほしい"
"たくさんの方々に伝えたい"
という気持ちで立ち上げました。
我々は皆さんのご支援を「想い」として真哉さんに届け、真哉さんの生きる希望を、
皆さんの「想い」で実現していきます!
ご支援を是非よろしくお願い致します。 -
さいごに "理事長の想い"
- 少しずつ体が動かなくなり、やがて呼吸もできなくなる。この恐怖、不安、絶望感を前に、「生きる希望」や「夢」なんて言葉は軽々しく口にできなかった。言葉だけみると美しいが、この時は軽薄で浮ついた言葉にしか感じられなかった。
呼吸が不安定になってきたころ、真哉さんは人工呼吸器をするかどうかを決めれず、いや受け入れることは誰だって容易ではないはずだ。 いよいよ自発呼吸もできなくなり、意識も落ち始め、どうするかは奥様に託された。「生きてほしい、呼吸器をお願いします」と。 生きてほしい気持ちと、生きていても...の気持ち。 でも奥様の決断、生きるを見つめた先にあった今、そして野球を愛する人の甲子園という聖地。
玄州会は病気だけを治すところではなく「推し」と「縁の数奇 」を大切にし「やる気スイッチ」を見つけ、医療介護を超えた「人生の処方箋」を共に考え実現するチーム。そんなこと無理だよ、そこまでする必要がない、壱岐だからできないと、笑われ風雨にさらされたっていい。でもやりたいんだ。
今なら少し言える「生きる希望」と「夢」という美しい言葉。
"真哉さんの夢 一緒に行こう甲子園へ"
社会医療法人玄州会
理事長 光武 孝倫(みつたけ たかみち) -