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好評につき猪口を追加発売! 2023年4月17日
- 陶芸家の請関敏之さんに温かいご支援をいただきまして誠にありがとうございます。おかげさまで猪口が売り切れ間近となりました。そこで「請関天目紫黒猪口」シリーズ10点を追加発売いたします。いずれも1点物ですので、どうぞお見逃しなく、お気に入りの作品を手に入れてください。
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魅惑の「請関天目」とは?
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- 請関天目碧玉猪口〈空・其の一〉
- 請関敏之さんはこれまで陶芸の表舞台とは無縁の孤高の陶芸家でした。40歳の時に曜変天目茶碗に魅了され、試行錯誤を繰り返した末、45歳の時に技術を習得。さらに年月を重ねるうちに、色や輝き、表情などで独自の美の境地を開きました。それが「請関天目」です。喜寿を迎えた今もなお、請関さんはさらなる高みを目指す姿勢を崩すことがありません。まずは、異彩・超絶の美を放つ請関天目の素晴らしさをご覧ください。器の内部に広がる釉薬の斑点や流れは小宇宙のようで、見る者を飽きさせることなく、幻想的な世界に誘います。
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確かなろくろ成形技術でこそ生きる表情
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- また、「請関天目」の美しさを際立たせているのは釉薬の妙のみならず、端正な形です。それも請関さんに確かなろくろ成形技術があってこそ。工房「比良陶苑(ひらとうえん)」で撮影した、請関さんの熟練のろくろ成形の様子をとくとご覧ください。
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40歳で曜変天目茶碗に目覚める
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- 請関敏之さん
- 請関さんが埼玉県ときがわ町に自身の窯「比良陶苑」を開いたのは35歳の時。当初はオブジェや家庭用食器を創作する日々が続きましたが、次第に曜変天目茶碗にのめり込んでいきました。一般的に曜変天目茶碗は再現が難しいと言われていますが、「簡単には到達できないからこそ、興味を惹かれる」と請関さんは言います。陶磁器研究者の小山富士夫さんと化学者の山崎一雄さんが分析し論じた書籍『曜変天目の研究』を読んでみても、陶土や釉薬などは特別な材料では一切ありません。しかし焼いてみると、最初はただの黒い茶碗にしか出来上がりませんでした。問題は焼成の仕方にあったのです。
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新聞記事をヒントに焼成方法を編み出す
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- 作陶の様子
- ある時、請関さんはICチップの表面の製造技術が紹介されている新聞記事を見つけ、これをヒントにして、頭の中で焼成方法を組み立てました。窯の中で強い還元焼成をした後、器の表面に薄い酸化皮膜を作ることで、あの光彩が生まれることをついに発見。つまり釉薬の最表層で光の干渉現象が起きるため、光源や光量、眺める角度によって発色が次々に変容して見えるというわけです。こうして曜変天目の製作方法を確立し、独自の作風として「請関天目」の追究に生涯をささげています。
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薪窯を導入して焼成方法を進化させる
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- 薪窯の前で
- さらに2020年、これまで使用していた電気窯を薪窯に刷新しました。薪窯は焼成温度をゆっくりと上げて保つのに向いています。そのおかげで理想的な温度コントロールと還元焼成を実現できるようになりました。一般的に曜変天目の中でも粒状の景色を「油滴天目(ゆてきてんもく)」、線状の景色を「禾目天目(のぎめてんもく)」と呼びます。これらに加え、窯を刷新することで、請関さんは斑状の景色も独自に表現できるようになりました。
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鉄分の多い陶土と天目釉が要
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- 施釉の様子
- 請関さんは瀬戸や信楽、益子、そして地元で採れる粘土をブレンドし、鉄分の多い陶土に仕上げ、生地を成形します。この生地に鉄やシリカ、酸化アルミニウムなどを主成分とする天目釉を柄杓で流し掛けたり、生地ごと樽に漬けたり、工夫して施釉します。躍動的な釉薬の掛かり具合や溜まり具合も、請関天目の魅力的な個性と言えるでしょう。
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手の中で眺めて楽しめる請関天目猪口
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- 請関天目紫黒猪口〈其の三〉
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- 請関天目碧玉猪口〈空・其の一〉
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- 請関天目碧玉猪口〈海・其の一〉
- 今回、ご紹介するのは、ご自宅で実際に使って楽しめる猪口と徳利です。これまで杯を中心に「請関天目」をご紹介してきましたが、皆さまにもっと身近に感じていただきたいとの思いから、より普段使いに適したアイテムを選びました。口縁部の広がりを控えめに留め、やや寸胴に成形した猪口は、片手で持ちやすい点を特徴とします。お酒を一口、二口味わうのに適した容量なので、ゆるりと飲みながら、徳利からお酒を注ぐ所作を何度もお楽しみいただけます。赤紫や青、黒などが複雑に混じり合う不思議な色合いの「紫黒」シリーズを中心に、うららかな春の空を仰ぎ見るような爽やかな青の「碧玉〈空〉」シリーズ、海の底をのぞくような深い青を特徴とする「碧玉〈海〉」シリーズをそろえました。お好みで、やや大きい中猪口もお選びいただけます。
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猪口に合わせてそろえたい請関天目徳利
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- 左から請関天目大徳利〈其の一〉、請関天目茄子形徳利〈其の七〉、請関天目茄子形小徳利〈其の一〉
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- 左が請関天目茄子形徳利〈其の五〉、右が請関天目柘榴形徳利〈其の一〉
- 猪口と合わせて、酒席で楽しんでいただきたいのが徳利です。杯や猪口とは一味違った請関天目の魅力を知ることができるでしょう。二合強たっぷりと入る大徳利、一合前後ちょうど入る徳利、一合に満たない小容量の小徳利と3サイズをご用意しました。徳利と小徳利には一般的な茄子(なす)形と、独特のふくらみが面白い柘榴(ざくろ)形の2種類がありますので、お好みに合わせてお選びいただけます。猪口に映る景色と、徳利に映る景色とをどのように組み合わせようかと考えるのも、春の楽しみとなりそうです。
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- 請関天目茄子形徳利〈其の八〉と請関天目碧玉猪口〈海・其の二〉
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- 請関天目茄子形徳利〈其の二〉と請関天目紫黒猪口〈其の五〉
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- 請関天目柘榴形徳利〈其の三〉と請関天目紫黒猪口〈其の六〉
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酒瓶からお酒を移す際には漏斗を使用して
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- 徳利の注ぎ口の径はどれも小さめで、小指から鉛筆ほどの寸法です。そのためお酒を注ぐ際にトクトクトク……と心地の良い音を奏でるのが特徴。一方、酒瓶から徳利へお酒を移す際にこぼしてしまわないかと懸念されるかもしれません。大丈夫、ご安心ください。徳利には漏斗(ろうと/じょうご)を付属いたします。これを徳利の口に差し込んでお酒をゆっくりと注げば、こぼれることはほぼありません。また漏斗が徳利の口を保護しますので、酒瓶を直接付けて注いでも口を傷つける心配もありません。徳利をお使いの後、洗い終わったら水をよく切って、口を上に向けたまま自然乾燥させてください。徳利を逆さに向けておくと、倒れて破損する恐れがあります。
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徳利に野花を挿せば一輪挿しにもなる
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- 請関天目柘榴形小徳利〈其の一〉
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- 請関天目柘榴形小徳利〈其の五〉
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- 請関天目茄子形小徳利〈其の四〉
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- 請関天目茄子形徳利〈其の六〉
- 徳利はお酒を注ぐ道具としてだけでなく、草花を生ける一輪挿しとしてもお使いいただけます。目に留めた春の野花や梅などを摘んだり手折ったりしてそっと挿し、食卓やデスクなどに飾ってみてはいかがでしょうか。心がほんのり癒され、自宅で過ごす時間を豊かにしてくれるでしょう。猪口も徳利も全て1点物ですので、この機会をお見逃しなく、ぜひお気に入りの作品を手に入れてください。
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波乱万丈な陶芸家人生の始まり
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- 請関さんの陶芸家人生は実にユニークで、ドラマチックです。請関さんは終戦直後に福岡で生まれ、京都で学生時代を過ごしました。しかし学生運動が盛んな頃で、まともに勉強ができません。23歳の時に老舗の喫茶店「鍵善」で河井寬次郎の作品に出合います。その展示作品にいたく感動した請関さんは、福岡に戻り、上野焼(あがのやき)の窯元で職人をしていた弟を頼って身を寄せ、半年間修行に励みました。そして上野焼の産地よりも少し南に下った小石原焼(こいしわらやき)の産地に、25歳で窯を開きました。
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ポルトガル人の友からの誘いを受けて
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- 1977年頃、友人や娘らとブラジルの農場にて
- 2〜3年経ち、時代が高度経済成長期に突入すると、民芸品が注目される風潮もあり、請関さんの作品は順調に売れていきました。また、その頃から九州大学の学生だったポルトガル人が請関さんの窯に頻繁に遊びに来るようになり、いつしか友人になりました。彼のビザがまもなく切れる頃、「国に帰ると徴兵されるため、ブラジルに移住したい」と彼から打ち明けられ、「トシユキも一緒にブラジルに行かないか」と誘われました。ブラジルは、請関さんが子どもの頃から憧れていた国。これを良い機会と捉え、妻子を連れて30歳でブラジルに移住することを決めました。1975年のことです。ここから請関さんの運命が大きく変わります。
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ブラジルに移住して窯を開く
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- 1975年、東洋式の登り窯をブラジルで初めて築く
- 請関さん一家が遥々たどり着いたのは、ブラジル南東部のサンパウロ州クーニャ市。そこは陶土に最適な木節粘土が採れる街でした。請関さんはブラジルの街中で見かけた白いレンガに着目。これは焼物の陶土にも使用できると確信し、その出土場所を突き止めたところ、クーニャ市だったというわけです。運良くクーニャ市で偶然出会った女性に親切にしてもらい、空いている倉庫を借りることができました。そこに腰を落ち着けた請関さんは窯を開き、東洋式の登り窯をブラジルで初めて築きました。
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ブラジルの小さな町を焼物産地に
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- 1975年頃、ブラジルに窯元を開設
- 窯元を開設した請関さんは日本の民芸調の食器や花瓶、オブジェなどを作り、現地の人に向けて販売しました。ブラジル人は屋外にオブジェを飾る習慣があり、特に好まれたと言います。近所の子どもたちも手伝いにやって来て、窯元の仕事を徐々に覚えていきました。あっという間に3年半の月日が流れ、請関さんは帰国。一方、妻はブラジルに残り、後進の育成に邁進しました。それまで目立った産業がなかったクーニャ市でしたが、今では20軒近くもの窯元が点在する産地となり、観光地としての人気も高まりました。それもすべて請関さんの功績だったのです。
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30年以上経ってからもブラジルで陶芸指導を
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- 2011年、ブラジルでの講習会
- 年月が経ち、請関さんがブラジルを再び訪れる機会がありました。2011年のことです。国際交流基金から「ブラジルで日本式の陶芸を指導してほしい」と依頼があり、3カ月間におよぶプログラムの講師として招へいされたのです。各都市での講習会をはじめ、曜変天目茶碗を分析した資料を発表する大学でのシンポジウム、陶芸教室での作陶指導など、さまざまなプログラムを実施しました。プログラム終了後も請関さんは現地の友人や知人たちと交流を深め、さらに3カ月間延長してブラジルに滞在しました。滞在中も陶芸学校の設備を借りて、陶器を焼き続けたそうです。
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意と匠研究所がサポート
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- 意と匠研究所は、これまでも、これからも挑戦を続ける請関さんを応援していきます。ここでご紹介する作品の売り上げの25%をいただき、請関さんの活動や作品について取材や原稿執筆、写真撮影、編集などを丁寧に行い、また今後の新規開発に対してもアドバイスを適宜行っていきます。
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